平成27年1月の法人税務についてのお知らせです

【法廷調書・合計表はe-Taxでお願いいたします】

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
法定調書、合計表はe-Tax で送信をお願いいたします。

税理士さんの豆知識

明治4年アメリカへの女子留学生(9歳から16歳)

山川捨松(鹿鳴館の貴婦人)

咲子はアメリカに渡ることになった。これを機に、咲子の母親は、「捨松」と改名させた。

「私はお前を捨てたつもりで遠いアメリカにやるが、お前がお国のために立派に学問を修めて帰ってくる日を毎日心待ちにして待っているよ。」という、母の切ない気持ちからの改名だった。

 

明治4年、欧米に派遣された岩倉使節団には約50名の政府役人の他に、約60名の留学性が加わっていた

その留学性の中に、5名の少女たちがいた。〔永井繁子(10歳)、上田悌子(16歳)、吉益亮子(16歳)、津田梅子(9歳)、山川捨松(12歳)〕女子留学生の親たちは全て賊軍(敗者)側だった。

 

留学期間は10年で、全ての費用は政府がもつという好条件だったが、応募は皆無だった。明治になったばかりの日本では、女子に教育を受けさせたり、外国に10年もやるなどとは、とんでもないことであった。二次募集をしてやっと集まったのが、この五人だった。

 

北海道開拓の参考にと、西部開拓の実績を持つアメリカを調査に行った。黒田清隆(後の総理大臣)がそこで見たのは、男性と対等に活躍する女性の姿だった。

日本の近代化のためには女子にも教育を受けさせる必要がある。そう感じた黒田清隆(開拓使次官)は女子留学生を募集した。